ショックなことがありました。
これまでずっと,ホント,何十年も「甲賀忍者」を「こうがにんじゃ」って読んできたんですけど,今どきは「こうか」って,濁らないんですってね。まるでスペイン語の「z」みたいな…。「伊賀」は「いが」でいいんだそうですが,「甲賀」は「こうか」なんだそうです。
「茨城県」,「浦添市」みたいな…。いや,正しますけど,これまでの何十年間はとり戻せず…。ニンニン。
そんな筆者,先日の『R-1ぐらんぷり』の「カニササレアヤコ」さんが,何度見ても「カニザレス」にしか見えず,悩んでました。
そのオルランド・カニザレスは,自身はテキサス州の生まれなんですけど,両親の代はメキシコ出身なんだそうで,「Cañizales」って書く説もあります。「ñi」も「ni」も,ほぼ「ニ」です。彼のトレーナーだったJesse Reid氏の息子(だったかな?)と,ちょっとだけ喋ったことがありますが,Canizalesは英語もスペイン語も普通に喋れたそうです。
で,フジテレビで深夜に放送されてたWBA122を見ました。生中継じゃなかったんで,結果は知ってたものの,松本亮選手がDanny Románに明らかな大差判定負け。う~ん,「和式」ですよねぇ…。たぶん,この「悪しき伝統」は,受け継がれちゃうんでしょう。いつまでも,どこまでも…。暗い未来しか見えませんけどね。
もっと気になったのが,「ローマン」ですよ。しつこく何度もいってますけど,「Román」ってアクセント記号が明示されてんのに,いつまで「ローマン」なんでしょうか? テレビ関係者,雑誌関係者で,誰か1人でも,スペイン語のわかる人間はいないんでしょうか? そんなにスペイン語って,マイナー? みんながみんな,バカなんでしょうか? この点でも,将来は暗いんでしょうか?(無駄な話ですが,イタリア語ではアクセント記号の向きが逆で,英語の「coffee」はイタリア語では「caffè」,スペイン語では「café」です)
スペイン語喋れる設定の横分けオヤジが積極的に「ローマン」っていってますんで,それを盲信しちゃってるんでしょうかねぇ…。いっときますけど,あのオヤジのいってることの8割9割は,インチキですからね。わかってるか否かは謎ですけど,結果として,ウソ800。いや「800」では済まないかもしれません。そのくらい,ウソに満ち満ちてます。
あ,Wikipediaに各団体の歴代王者が出てましたんで,「Román」で検索かけてみたところ,以下のような選手がヒットしました。
「Roman」で引っかかるのが,「Daniel Roman」ですが,アメリカ人ではあるもののメキシコ系なんで,「Román」が正解のようです。が,日本では「ローマン」。
しばしば,外国人が怪しすぎるイントネーションで人名を喋りますけど,そのくらいの違和感があります。ですんで,「Román」をことごとく「ローマン」っていっちゃってんのは,アグネス・チャンさんとかケント・デリカットさんみたいな感じだと思ってください。ね,不自由でしょ。
その他にも,アクセント記号が明示されてんのに怪しいものを,いくつか挙げときましょう。アクセント記号を完全無視,って,人間として,どうなんでしょうね? 漢字を全部,抜かして読んじゃうくらいに,信じられない事象でしょ。
あ,あと,日曜に生中継されてたキューバのLuis Ortizのアクセントもおかしかく聞こえました。あれはアクセント記号がなく「z」で終わる語なんで,後ろアクセントで「オルティース」的に読みます。頭アクセントは誤りなんで,お気をつけください。アグネス・チャンさん扱いですんで(それを希望するんなら別)。
おかしなイントネーションがらみでは,役者のLeonardo DiCaprioさんも,ちょっと気になりますね。あの姓,「Ca」のところにアクセントが位置しますんで,カナで書くなら「ディカープリオ」みたいな音が正解(さらに細かいことをいうと,イタリア系ながらアメリカ人なんで,リガチャ(æ)になります。「Japan」の後ろもリガチャですが,筆者を含む日本人のほとんどが,この音を出せません。自分の国もいえないのね)。でも,日本語的に「ディカプリオ」っていうと,母音の存在しない「プ」が強く発せられます。これまた,アグネス・チャンさん的になります。母音のないところにアクセントがあるはずがないのに,ねぇ。
続けちゃうと,頭に「Mc」がつく語は,「Mc」がつかないものと考えた場合の位置にアクセントがあります。ですから,「McKinney」は「Kinney」の頭にアクセントが位置してて,カナで書くと「マキーニー」みたいに読みます。間違えて先頭にアクセントをもって来る愚行をやらかさないと,「マッキニー」とは読みません。
「McCallum」も頭にアクセントが位置することはありませんから,「マキャーラム」的な音が正解。間違えないと「マッカラム」なんて読むはずがありません。
WBCヘビー級戦に話を戻すと,仕草を見てたんですが,そのLuis Ortiz,サウスポーに構えるものの,利き腕は右のようですね。十字を切ったり,鼻をこすったりと,右手でやってましたんで。
いや,仕草だけでは判断しきれなかったりもするんですけどね。
例えば,名倉潤さんは左利きで,先日の『しゃべくり007』を見る限りでは,蹴りも左で行ってましたし,箸やスプーンも左手で使うものの,書くのは右なんですね。あ,これは『ネプリーグ』で確認しました。左利きはしばしば幼い頃に親とかから右手での動作を躾けられることがあるんで,モノによっては右手で行うことが少なくありません。
野球なんて,特にそうでしょ。話題の清宮幸太郎選手は左打ちですが,投げるのは右ですんで,たぶん右利き。イチロー選手とか松井秀喜さんも,左打ちですけど,球を放るのは右ですから,たぶん右利き。
じゃ,山中慎介選手やLuis Neryは…? う~ん,どうなんでしょうねぇ…。ちょっと気にして見てたところ,山中選手は左利きのようでしたが,Neryはわかりませんでした。つくづく謎の男・Nery。
相変わらずNery-山中第2戦について,いろいろいわれてますが,こうなったら,帝拳の本田明彦会長に提案。ギャラを公開しましょう。
それによって,Neryが「また来たい」っていったことが解明されるはず。
だって,第1戦の直後,上機嫌のNeryは「3000万円くれるなら,また山中選手と日本でやるよ」みたいなことをいってましたもんね。WBCが指名した今回の再戦は,ちょっと記憶曖昧ですけど,確か,入札になるはずが,それが回避された気がしてます。Neryにしてみれば高額を吹っかけた気分だったかもしれませんが,日本に世界王者を呼ぶのに「3000万円」って,さして高額じゃありませんからね。文字通り,日本は「ケタ違い」ですから。
ゲスな推測では,本田会長がNery側に「入札する気が失せるほどの大金」を提示したはず。世界的には,118の「特に人気選手ではない」選手の防衛戦では,日本円にして1000万円まで行きませんもん。それが世界的な相場。でも,「3000万円でまた来るよ」発言と,入札回避(いや,これ記憶曖昧ですが)を考えたら,Neryに破格が提示されてると想像されるわけです。あ,マイナスになり得ることは完全黙殺タイプだから,いわないか…。
さらには,体重超過があったにも関わらずの試合強行でしょ。
もちろん,興行を考えれば,WBC118がなければ興行が成り立たない,ってことも,あったでしょうけど,一応はそんなことも考慮しての,ダブル世界戦だったはず。いや,岩佐亮佑選手には山中選手や悪人・Neryほどの集客力はないにしても,一応は「ダブル世界戦」だったわけで,最悪「WBC118キャンセル」でも,興行は成立した気がします。あ~,でも,「岩佐選手じゃ,なぁ…」ってことなんですかね。それだけでなく,「これだけギャラ払ってるわけだし…」が,働いた気がしてます。
あ,もし,Nery-山中第2戦のギャラがわかれば,タレ流しますね。想像だと,「破格」です。
で,利き腕ついでにいうと,先日の節分の際,貴乃花親方は左手で豆を投げてましたんで,たぶん左利きでしょう。同じく過去の選手でいうと,舞の海さんとか朝青龍さんが,やっぱり左利きですね。
ちなみに筆者は芸人さんが大好きなんで,左利きというと真っ先に思い浮かべるのが,小島よしおさんとかバイきんぐの西村瑞樹さんとかです。松本人志さんよりも,小島よしおさんが先に出てきます。
ということで,ギャラの公開を熱望。Neryが契約時にいかに大金を積まれてて,で,納得して来日したかを暴きましょう。
一応,体重超過の影響を,飽くまで「個人的な意見」として。
感覚的なことですが,筆者は異常に軽かったんですけど,半ポンド(200gちょい)違っただけでも,「あ,今日,ちょっと重いね」って相手に指摘することができました。
先日のWBCヘビー級戦では,Deontay Wilderが214¾(97.41kg),Ortizが241¼(109.43kg)って報じられてて,計量時の差は26.5(12.02kg)ありました。
結果はWilderがダウンを食いそうになりながらも10回にTKO勝ちしましたが,計量直後にはWilder,「体重差はまったく気にならない」みたいなことをいってました。結果としては軽いほうのWilderが倒して勝ったんで,いわれませんでしたけど,もしOrtizが勝ってたら,「やっぱりデカいほうが勝った」みたいにいわれたことでしょう。
不思議なのは,業者(選手とか解説者とか)が,WBC118の技術的なことをほとんどいわないこと。
ほら,小学生の国語のテストで,「主人公は,このとき,どう思ってたでしょう?」みたいな問題が出題されることがありますね。でも,歳を経るうちに,思考と行動とは,必ずしも一致しないことを学んでいって,いつの間にか,そんな問題も出なくなってきます。だって,行動からなんて,実際の心情は読みとれないことを学習していくんですもんね。
それと同様に,業者は,山中選手の心情をガタガタ想像するんじゃなくて,あの試合,「技術的にどうだったか」を解説する義務があるように思ってます。それ,行われてますか? 心情論ばっかり目につきます。ホントに,業者? 想像でガタガタ喋ってるだけだろ?
という余談を経て,で,「สามารถ พยัคฆ์อรุณ」について。これで「Samart Payakaroon」って読みますが,なにぶん,かなり昔の選手ですんで,「どんな選手だったの?」っていうメールをいただいたわけです。とりあえず,筆者の印象としては,「イヤなヤツ」っていうことでしょうか。
あ,また余談ですけど,สามารถは左構えですが,右利きでした。鉛筆もスプーンも右手でしたから,たぶん右利き確定です(「たぶん」で「確定」かよ)。
生まれは1962年12月5日。「สามารถ」ってのは「できる」みたいな意味ですんで,ちょっと意訳すると「天才」。幼い頃につけられた芸名らしいんで,そんな幼い頃から,指導者が「コイツぁ天才だ」って思ったことでしょう。
タイ式の初戦は,1974年12月24日だそうですから,筆者が知るはずもありません。で,1980年に最初の王座に就いて,以降,4階級くらいを制覇しました。
そして1982年8月24日に国際式に転向します。推測ですけど,才能に優れてましたから,「よりカネになりそう」なほうを選んだんでしょう。国際式で世界ギャラを得るようになれば,タイ式の比ではありませんからね。
で,11戦全勝と突っ走ったสามารถは,1986年1月18日にLupe PintorとのWBC122決定戦に圧勝の5回TKOで,国際式でも王者となりました。このときPintorは体重超過を犯して,125だったとか(ほら,ここでも体重超過)。ですんで,สามารถが勝った場合にのみ新王者になるルールで試合は行われてます。
この王座を,1986年12月10日にはJuan Mezaを12回にTKOして防衛したものの,続く1987年5月8日の試合でJeff Fenechに4ラウンド目にKOされて無冠になっちゃいました。
この王座を含めて3階級制覇を達成するFenechは,たぶん御存知のように好戦的で手数の多い選手でした。この試合,สามารถは初回にダウンを奪う好スタートを切ったものの,徐々にFenechに押されていきます。で,最後は「もうイヤ~」って感じでダウンして負けます。
また印象を悪くするようなことを申し上げると,สามารถ,才能ゆえか,根性なし傾向が強かったんですね。多分に偏見でしょうけど,才能に優れちゃってたんで,手数とかしつこい腹打ちとかで攻め込まれると,「もう許して」って感じになる傾向がありました。それが出ちゃったのが,Fenech戦でした。
いくつか筆者はทิพย์ท่าไม้のタイ式の試合を見たことがありますが,ホント,巧い選手でしたよ。例えば,片腕を伸ばして首に引っかけるようにすると,相手は「首相撲か?」と思って両腕を前に出して組みに来ますね。そこをทิพย์ท่าไม้は,アッパーとか下からのヒジ打ちをやっちゃうような選手でした。イヤでしょ。
下からのヒジ打ちなんて,あんまり見る機会がないかもしれませんので,ちょっと御説明。
自分の,脇の下を見せる感じの動きです。サウスポーのทิพย์ท่าไม้でいうと,右腕を伸ばして相手の首にからめかけておいて,相手が両腕を伸ばして来るのを見ると,自分の右脇の下を見せるわけです。
それとか,「外回しのハイ」が打てたんですね。
たぶん,体が非常に軟らかいんでしょう。あ,「動的に」ね。後天的に柔軟運動で軟らかさを維持したのは当然のこと,生まれついての先天的な軟らかさもあったと想像されます。
その結果,「外回しのハイ」でした。
パンチ,特にフックの打ち合いの距離になると,高い蹴りなんて警戒しません。パンチの打ち合いの距離ですから,当然のごとくアゴは守るんですけど,ハイ・キックは側頭部に当たっても倒せちゃう武器。でも,そこそこ近間ですから,ハイなんて警戒対象ではないんですが,ทิพย์ท่าไม้は,そこでハイを出しちゃってました。当然,食や倒れますよ。警戒してない強打ですもん。
で,憎たらしいことに,ทิพย์ท่าไม้,カッコいいんですね。日本の役者さんでいうと,沢村一樹さんを2回りカッコよくした感じ(筆者の個人的な印象です)。沢村さんを初めて見たとき,「ทิพย์ท่าไม้か?」って本気で思いましたもん。
沢村さんもデカいんですが(公称184cm),ทิพย์ท่าไม้も長身で,あ,Wikipediaに身長,ありませんでしたね。BoxRecにも記載なしですが,筆者の印象では,175cmくらいあったと思われます。「印象」ですがね。
あ,沢村さんの「エロ男爵」要素はありません。外見からは,ทิพย์ท่าไม้に「エロさ」は感じられません。念のため。
容姿がよくて才能抜群。そりゃ,ヤロー人気はなくなります。弊WWWサイトを御覧になってる方の中には,「何だよ,アイツ」って思ってるような男性芸能人がいることと想像されます。そんな感じ。もう,ทิพย์ท่าไม้が出てるだけでテレビ消す,ってくらい,嫌われてました。
そんなทิพย์ท่าไม้は,1988年から試合をしなくなりました。で,容姿を活かして役者になります。ほら,どんどん嫌いになっていくでしょ?
歌も芝居も,ヘタでした(雰囲気的には,ね)。何かの雑誌に「『Mr. Boo』のテーマかよ!」って書かれてましたけど,そのくらい,滑稽な感じでした。タイ語の芝居の上手い下手はわかりませんが,たぶん,芝居も棒芝居だったことでしょう(嫉妬だらけの推測)。
でも,売れに売れます。カッコいいんでね。たぶん,30作以上の映画に出てるんじゃないでしょうか? とにかく,アイドル的な人気でした。
が,1993年に突如,復帰します。
それが,4月25日の新妻聡選手との試合でした。
このときすでにทิพย์ท่าไม้は31歳ですか。一度はまるまる引退してアイドル生活をして,で,復帰。日本での試合ですから,たぶん,何百万円かのギャラを積まれたんでしょうね。タイではその1/10で大金です。日本円で「数百万円」は,「あのทิพย์ท่าไม้」ってことで,わりと余裕で出せる額ですから,ギャラに目がくらんでの復帰,ということで,いいかと思われます(ほら,嫉妬たっぷり)。
新妻選手は,当時の135のトップ選手でした。その新妻選手に,わりと容易に勝っちゃったんです。これが「天才」の成せる業なんでしょう。
記憶があってれば,客席はわりとガラガラでした。当時のキック人気なんて,そんなもんでした。
気になって,そのทิพย์ท่าไม้-新妻戦を再見しました。
初回と2回に,ทิพย์ท่าไม้が見事な右カウンターを当ててダウンを記録。その後もノー・ガードで顔を突き出して余裕を見せましたが,3回に新妻選手が右を直撃させます。
その頃からか,ทิพย์ท่าไม้は「流し」に入りました。「流し」っていうと,ちょっとカッコいい感じですけど,実際のところはバテたんでしょう。でも,腐ってもทิพย์ท่าไม้。左ミドルでしばしば新妻選手を吹っ飛ばしてました。バテバテながらも,タイミングとしなやかさは健在。
当時,新妻選手は135の1位で,王座には飛鳥信也選手ってのが君臨してましたから,本来だったら飛鳥選手が対戦相手を務めるべきだったのかもしれません。が,飛鳥選手はコンビネーション・パンチャーで,ทิพย์ท่าไม้にしてみると,「やりやすい相手」でした。
一方,新妻選手は「根性型」で,ローとパンチを主武器に出ていくタイプでしたから,久しぶりで,かつ,バテるであろうทิพย์ท่าไม้にぶつけるには最適だったと思われます。が,捕まえきれずに,スピードと技巧で安全運転負けしました。
この快勝でいい気になったทิพย์ท่าไม้は,国際式にも復帰しちゃいます。
ここでも余裕で5連勝を記録したทิพย์ท่าไม้は,1994年9月11日にEloy RojasのWBA126に挑みましたが,8回にTKO負けしました。どうやら,これが最後の試合のようです。
この試合,わりとちゃんと練習したんでしょうね。ですが,終盤までかなり互角に打ち合ってたものの,最後は「もうイヤ」ダウンを繰り返してのTKO負け。やっぱり「根性なし」でした。たぶん,タイのヤローどもは,大喜びだったことでしょう。
う~ん,記憶が曖昧なんですけど,筆者がทิพย์ท่าไม้を見たのは,1993年だったんでしょうか? 練習嫌いで有名だったทิพย์ท่าไม้は,そのときも,体重調整のためだけの練習をしてました。
カッパ(アルミでコーティングしてある汗出しシャツ)を着て,ストーブの近くで延々と縄跳び。『テンション上がる会?』の散歩の会でやってたように,痩せるためには,談笑できるくらいの運動の強度である必要があります。バッグ打ちすると,運動がハードすぎて,充実感は得られるものの体重は落ち難いんですね。
それを知ってか知らずか,ทิพย์ท่าไม้はカッパ着て縄跳びをずーっと。技術的な練習は,筆者が見てた範囲では,1秒たりともしてませんでした。隠れてやってたか,あるいは,ホントに才能だけで勝つ自信があったのか…。
タイ式の選手とか,ボクサーとか,って,引退して肥っちゃっても,「元々は筋肉質だった」がわかるくらいの体をしてるんですけど,ทิพย์ท่าไม้はだらしない体でしたねぇ…(また偏見かも)。現役時代の晩年,もうすでに「筋肉のエッジ」みたいのが,ほとんど見えませんでした。でも,軟らかい体を活かした意外な強打を打てる選手でした(あ~,憎ったらしい)。
あ,ดีเซลน้อยのちょっと前の時代の王者だったดีเซลน้อย ช.ธนะสุกาญจน์(Dieselnoi Chor Thanasukarn)も,135だった選手ですけど,見る影もなく肥っちゃって,これまた,筋肉のエッジらしきものが見えませんでした。
大相撲の関取って,脂肪も多いものの,その下は筋肉質なんで,胸の辺りは筋肉があるであろうエッジが見えるでしょ。ところが,ดีเซลน้อยとかดีเซลน้อยの体は,見るからに「だらしない」んですね。筋肉の形跡が見られないんです。たぶん,2人とも,脂肪の下に筋肉はそれほど,ないんでしょう。
とはいっても,それで勝ち続けちゃったんですから,どうにもなりません。特にดีเซลน้อยなんて,「強すぎて相手がいない」とまでいわれましたもんねぇ。
でも,あそこまで才能が溢れちゃってたら,「練習しろ」っていっても,無視しちゃって当然でしょう。見てるだけで「コイツぁ凄い」って思っちゃうような選手でしたもん。「慢心するな」っていっても,無駄です。だって,そのやり方で勝ち進んで来ちゃってるんですもん。苦戦とか敗戦とかが続けば別ですけど,勝っちゃってきてる選手に何をいっても,たぶん無駄でしょう。ちぇっ…。あの容姿と才能が筆者にあったら…。
キックのことになると,我ながら,愚痴っぽくなりますね。