真説「クロス」

聞いた話で恐縮ですが,『はじめの一歩』がよろしくない方向で終わりそうなんだそうで。

実は,筆者は『はじめの一歩』に大きく失望した過去があります。ある人から勧められて,ちょっとだけ見たところ,アッパーを肩の外側に打ってたんですね。わりとデカい絵で。これ,間違いです。

アッパーってのは,いわば手の甲が下を向いてるだけの「ストレート・パンチ」ですから,発射元である肩の外側には強く打てないんです。不可能なんですね。

もし肩の外側にアッパーを強打するとなったら,よほど強靭な肩と腕がないとダメでしょう。

あ,Roy Jones, Jr.が遊んでましたね。相手の頭が左肩の外にあるときには左フックをパパパパパンと早打ちしといて,相手の頭が左肩の内側に移ったら左をアッパーに切り替える,みたいなことをしてた記憶があります。

頭の気の毒なジョー小泉氏が「日本人は上肢が弱いからアッパーが苦手」って主張してますけど,これこそ完全な勘違いで,アッパーってのは腕力で打つものではなく,体の回転による「押し」で打つもの。そんな小泉氏の間違いが,『はじめの一歩』にも反映されちゃってて,いわば「バカの拡大再生産」ってヤツなんですけど,バカが感染して,『はじめの一歩』までアッパーを間違ってたんです。

この絵,1枚だけで,筆者は失望。そのコマを見ただけで,以降は,一切,見てません。いや,「そんな些細なことで」って思われるかもしれませんけど,筆者にとっては,これは非常に大きなことなんですね。

その他にも,どうやら,「デンプシー・ロール」ってのを攻撃として描いてるらしいじゃないですか?(未確認ですけどね) これもホントだとしたら,大きな失望ポイント。だって,「デンプシー・ロール」ってのは,防御動作ですもん。無知,バカにも,程があります。

勧められたのは,「かなりリアル」って勧められたんですね。ところが,わりと早いところでインチキが発覚。もしリアルを標榜してるバスケットボール漫画で,一旦ストップしてからドリブル続けちゃってたり,ボールもって何歩も歩いてたりしてたら,どう思いますか? コケるでしょうに。そんなバカバカしさを,痛感しました。書店で真面目に「民明書房」を探しちゃうくらいのバカバカしさでした。

キャプテン翼』をイジって,しばしば「走っても走っても地平線」っていわれますけど,アッパーを肩の外側に打ってるのは,それと同等か,それを超えるバカバカしさだったわけですよ。「こんなん,ありか?」と。今どき,ウサギ跳びしてる,みたいな。今どき「水を飲むな!」っていわれてるみたいな。そんな,あり得ないことでした。

ドラマの「時代考証」とか「方言指導」みたいなのは,いなかったんでしょうかねぇ…。あ,解説者が間違ってんですから,そんな役割の人がいても,間違えるんでしょうか。バカはバカを喚びます。人気漫画が間違ってんですから,お先真っ暗でしょう。誰かがどこかでいつか正さない限り,この間違いは続きます。

もしかしたら,「クロス」って言葉が勘違いされてることに大きな一因があるのかも,と,思うことがあります。

ナイツさんが好きなんで『球辞苑』って番組を見てるんですが,この番組中でプロ野球の牽制のタイムをランクづけしてたんですけど,やっぱり,サウスポーが1塁に牽制球を投げるスピードは落ちるんだそうで。5位までは発表されたうち,サウスポーは1名だけ(一般社会の比率でいえば左右比はこんなもんでしょうけど,プロ野球のピッチャーとなると,左投げの比率は非常に高いんです)

ピッチャーが1塁に投げるときを考えてみてください。右投げの場合には,回転が大きくなりますね。一方,左投げであれば,それほど体は回りません。短絡的に考えれば,体の回転が小さくて済むほうが速そうですけど,違うんですね。『球辞苑』では「ターン」っていう言葉を遣ってた気がします。これによって,投げる球の速さが変わってきます

このケースの,「ターン」が大きいのが「クロス」なんですね。頭の気の毒な解説者が「相手の腕や肩をクロスする」ってことで「クロス」って解説してますけど,これはウソ。ホントの意味の「クロス」は,バレーボールとかサッカーとかで,対角線方向にボールを入れることを「クロス」っていうように,「ターン」を大きくして打つパンチを「クロス」っていうんです。どこかの「上をクロスする」ことではありません。

ですんで,しばしばワン・ツーを英語圏の人は「ジャブ,クロス」っていうんですね。この場合の「クロス」って,どこも交差してないでしょ。これが「クロス」なんです。

懐かしのManuel Medinaの右みたいに,前傾はするものの体の回転はほぼない右パンチには「クロス」って表現は当たりません。でも,多くの場合,右構えの右ストレートはほぼすべて「右クロス」なんです。頭の気の毒な人を除けば,ね。

で,『球辞苑』で「ターン」がデカい右投げのピッチャーが上位を占めたように,「ターン」があまりに小さいと,速く強いのは投げ難いんですね。パンチでいうと,速く強く打てないんです。大きめの「ターン」は必須なんです。あ,触れるだけなら別ですけどね。

ほら,「和式」のサウスポー対策いかに愚かか,わかるでしょ。右構えが左に動いて右を出すと,「ターン」が小さくなるだけなんです。つまりは,強く速い右が打てなくなるわけですよ。でも,こうするとサウスポーは強くて速い左クロスを打てます。自分で自分の首を締めて,相手に強いパンチを打ちやすいポジションに行くだけです。そりゃ,日本においてはサウスポーが出世する率が高いのも当然でしょう。サウスポー対策を間違ってるんですから。これだけ悪い結果が出続けてんのに,なんで正さないんでしょうか? いわゆる「ドM」なんですかね? あるいは,カミナリのまなぶくんに憧れてるんでしょうか?

大学院出てようが博士号もってようが,イチイチ,検証してみてください。いってることの8割くらいがインチキですから。あ,学歴コンプレックスなんでしょうかねぇ…。大卒の飯田覚士選手の「左回り」も間違ってますし。あれは「右回り」ですからね。大学や大学院を出てると,間違いも正しくなるんでしょうか? あのオヤジに関していえば,選手経験もないのに,頭ぁやられちゃってる感すらありますもんね。誤りをそのまま堂々と放送しちゃう放送局のスタッフ全員も,たぶん狂ってます。

あ,『球辞苑』の発表してたタイムは,ピッチャーの動作開始から1塁手がボールを受けるまでのタイムです。ピッチャーの動作だけの時間ではなく,球の速さも含みます。念のため。「ターン」が小さいと,鋭い球を放れないんです。

ですから,アッパーを肩の外側に打つのは無理なんですね。あ,かなりの腕力があればいいのかな? 「上肢の弱い日本人にはアッパーは困難」っていうのは,換言すると,「手打ちの腕力自慢推奨」ってことになります。どこに科学があるんだか…。

そんなわけで『はじめの一歩』は暗い終わり方になりそうらしいんですけど,他方で,井岡一翔選手が…。いいんだか,悪いんだか。

わりと,ボクシング・ファンからは叩かれてるようですけどね。

その井岡選手が108王者だった頃に,同じWBAの「スーパー王者」としてRomán González何度も書いてるように,決して「ロマゴン」とは略しません。「ロマゴン」って書いたりいったりしてんのは,スペイン語を知らなすぎ。スペイン語わかる設定の人間が率先して「ロマゴン」っていっちゃってるのは最悪)が君臨してました。で,アメリカのボクシング・ファンに,「イオカっていうのは,チャンピオンなの?」って訊かれたことがありました。

確かにねぇ…。ボクシング・ファンはWBAに「スーパー王者」,「レギュラー王者」,「暫定王者」っていう3人の王者が君臨し得たことが知られてましたけど,わりとコアなファン以外はそこまで知らず,「王者」っていうのは世界で1人の最強者,みたいな認識だったはず。

アメリカのファンにしてみれば「極東」の「軽量級」の,いってみれば「どーでもいい」ところの「スーパー王者」がいたのに「レギュラー王者」なんて,「それも王者なの?」って思っても不思議ではありません。とはいえ,筆者は「お,そんな極東の軽量級選手まで知ってんのか」って感心しましたけどね。あ,「極東の軽量級」って,世界的には「そんな扱い」ですからね。

あ,そうそう。なんでこの辺を「極東」っていうか,ってぇと,欧米の世界地図だと中央に大西洋が位置するからです。日本人が見馴れた世界地図だと中央が日本とか太平洋なんですけど,欧米の世界地図は大西洋が中心ですから,右端(極東)に日本が位置します。ですんで「極東」なんですね。

推測ですけど,サッカーの「日韓共催」っていうのも,「日本と韓国なんて,どっちも極東で,近いんだろ?」感覚だったと思われます。飛行機じゃないと行けないにも関わらず(あ,船,って手もなくはないんですが),欧米の感覚だと国境なんてわりと簡単に超えられますから,「地図の端っこの小国」なんて,簡単に行き来できると思ったんでしょう。推測ですけどね。「極東」なんて,そんなもんです。

あ,そういえば村田諒太選手もWBA160王者になりましたけど,160にも「スーパー王者」がいるんですよね。いわなきゃ一般のファンにはわかんないかもしれませんから,テレビでは触れないようですがね。都合の悪いことは黙殺です。この業界,そんなもんです。

「クロス」に話を戻しましょう。

そもそも言葉が間違ってるんですけど,言葉がない,っていうのは,その概念自体が存在しない,ってことになり得るんだそうですね。

日本語の「肩凝り」の英訳には苦労する,みたいなことをききますが,日本語の「肩凝り」って言葉は実際には首周辺の筋肉の痛みを指すことが多いんで,英語では「首凝り」って訳すべき「stiff neck」とか「pain neck」とかを用いるそうです。一応は「stiff shoulder」でも通じないことはないようですが,痛いのは肩じゃなくて首の周辺ですからねぇ(ちなみに,肩を動かすシャドーができるボクサーは,決して「肩凝り」になりません。酷い「肩凝り」に悩んでる方,シャドーを憶えましょう)

ということで,英語圏には「肩凝り」の概念自体が存在しないわけではないようなんですけど,「クロス」って言葉が曲解されてるこの国においては,上記の「ターン」が小さい,しばしばサウスポー対策として用いられる左に出ての右が重宝されるという勘違いがまかり通ってますね。どうなってんだか…。

「クロス」が「上を通る」ってことになってるせいで,「ターン」が大きい右が普通ではなくなってる気がします。まるで特別なパンチになっちゃってる感さえあります。そうでない右は,強く速く打ち難いのにね。

そろそろ「クロス」って言葉の意味を正して,「サウスポー相手には左に回れ」っていう「クロス」を打てなくしちゃう動きを推奨すんのを,やめるべきなんじゃないでしょうか。いい加減に気づくべきでしょう。

「クロス」も「アッパー」も,大きく誤解されてます。評論家っていうポジションのあの横分けオヤジの責任は重大でしょう。「あんなの」が識者ってことになってるんですから。「あれ」が,ねぇ…。ビール瓶やリモコンじゃ,足りないくらいでしょ。

と,ここまで書いたところで例の「ネタ切れ」吐露に御心配をいただき,メールを頂戴いたしました。

曰く,JBCも採点基準を理解してないのに,何をもって文句タレてんだ,と。

そう。そこなんですよ。村田選手とHassan N'Dam N'Jikamの第1戦ではJBCの諸氏もかなり文句をタレてたんですけど,そもそも「採点基準をわかってねぇじゃん」と。さらには「WBAも曖昧じゃんか」ってなことが書かれてました。

WBAは,一応,総会なんかでレフェリー,ジャッジ諸氏を集めてビデオ採点会をしてるんですよね。で,それなりに見解の同意がとれるように努力してるようです。

が,そもそものところ「有効な攻勢」ってのが,「他人から見ての評価」でしか,ないんですよね。諦めに近い感じですけど,それが事実。

しばしば選手が負けた後に「効いてなかった」ってなことをいいますけど,それも,真かもしれません。単なる負け惜しみではないかもしれません。でも,採点は「ジャッジから見て」の評価でしかないんですね。

「効いたかも」の判断は,ジャッジの心象でしかありません。必ずしも事実ではありません。ゲームの体力ゲージみたいに可視化されてませんからね。

N'Damは2016年12月17日に,Alfonso Blancoを右1発で倒してる過去がある一方で,村田選手にはプロとしての世界的な実績がありませんでした。かつ,160選手としては,際立って高いKO率を誇るわけでもない。一応,世界戦で右1発で相手を失神させた選手と,世界的には見るべきもののない選手とで,「同じくらいに見えるラウンド」があったとして,後者の優位と見るはずがないでしょうに。

あの試合で「村田選手の圧勝」としたのは,たぶん,村田選手の試合をいっぱい見てた人「のみ」でしょうね。村田選手を「強打者」と短絡視した結果でしょう。「チョボチョボ」なら,世界的に実績のある,右1発で相手を仕留めたことのある選手のラウンドにするのが自然でしょう。

あ,でも,ホントに「チョボチョボ」で「差はなし」と見たら,10-10(イーブン)をつけても,まったく問題ありませんからね。「10-point must system」っていうのは,点差をつけることを義務づけるものではありませんから。

要するに,点差をつける義務がないことも,「有効な攻勢」が単なる採点者の主観でしかないことも,理解しておくべきです。でも,バカすぎる解説者は,どっちも誤解してるでしょ。JBCの諸氏も,同様です。あまりに知らなすぎます。知らないのに文句タレてんですから,訳がわかりません

誰が見てもストライクの球を,「アイツが見送ったんだから,ボール球だろ」っていってるくらい,虚しい主張です。その「アイツが」っていうこと自体,「お前の思い込みだろ」って感じですもんね。

何の番組だったか失念しましたが,構えるとヒジとヒザの間隔がほとんどない子どもにバッター・ボックスに立たせて,制球のいいピッチャーにストライクがとれるか,ってのを,やってましたね。あれは,ストライクっていうものの高さが明確に定義されてるからできることであって,「だいだい,この辺」みたいな曖昧さのある定義ではないからできたこと。でも,ボクシングにおける「有効な攻勢」は,「ハタから見た印象」でしか,ありません。「この辺だったら,ストライクってことにしない?」みたいな。

それから,メールくださった方,WBAが総会で楽しげに記念写真を撮ってたことにも言及されてましたけど,これはちょっと違和感がありました。「WBAに期待しすぎ」でしょう。言葉ぁ悪くなりますけど,WBAも「所詮,営利団体」ですからね。

Saúl ÁlvarezGennady Golovkin(Геннадий Головкин)とやったとき,WBCに承認料(sanction fee)を支払わなかったんで,もしあの試合でÁlvarezが勝ってても「WBC王座は空位になる」みたいなことになってましたね。

これ,メキシコに本部のあるWBCですから,メキシコではわりと大事件だったようです。「おいおい,WBCの本部はメキシコだぜ。それを拒否かよ」って。

でも,WBCも営利団体なんですね。

WBAが「スーパー王者」,「レギュラー王者」,「暫定王者」っていうのを設けたり,WBCも「王者」の下に「シルバー王者」なんてのを設けたりしてますけど,あれは,そういうことをして例えば「WBA暫定戦」みたいなことにすることによって,WBAに「承認料」を払わせる狙いがあります。そうやって,各団体は儲けるわけですよ。

そうでない場合は,単にその地域の地域コミッションの収入になるだけ。それもイヤなら,いわゆる「闇ボクシング」をすることになります。

お店とか会社組織とかが,名が売れて儲かってくると支店や支社ができるように,タイトルが増えるのも,営利団体としては当然といえるでしょ。そう考えたら,ハタから見たら愚行でも,「企業努力」としては,当然のことのはずです。

以前に書いたことがあった気がするんですが,ボクシングを全面的に禁止しちゃうと,この「闇ボクシング」が横行しちゃうだろう,と,いわれてます。それを防ぐためにも,合法化して白日の下で開催されるものにしとけ,と,いうことになってます。

で,タイトル戦となると,そのタイトルを統括する団体に「承認料」を支払う義務があるんですね。日本はかなりの金満国ですから,承認料をケチることがありません。そのわりに,勝つ確率が高くなかったりするんで,「いいお客さん」として「決定戦」に出場する確率も上がっちゃったりします。「あの国の選手ならカネ確実」ってところがあったら,出場させるでしょ。

経営者っていう立場にいるとして考えてください。「金払いのいいヤツ」のほうが,「カネを渋りがちな面倒なヤツ」よりも優遇すんのも,想像に難くありません。

WBAも,「所詮は営利団体」ですから,いっぱい王座をつくってカネ儲けしたいのは当然でしょうし,集まりゃ楽しくしたいのも仕方ない気がします。楽しくやって,カネが入りゃ万々歳でしょ。白鵬関以上に,バンザイするでしょ。

何がいいたいんだか,わかんなくなっちゃいましたけど,「その抗議の根拠は何?」ってのも思う反面,統括団体にも「期待すんなよ」とも思っちゃうんですね。

だからこそ,解説者くらいには正しい知識をつけていただきたいと思ってはいるものの,「そいつら」にも期待できません。

「そいつら」も,そんなインチキをいうだけで,食えてるんでしょう。結局,カネが最高なんですよ。「インチキいうごとに罰金」って制度ならまだしも,団体にも,解説者にも,期待すべきではないんでしょう。

解説者がバカすぎんのには呆れるしかありませんけどね。そんな解説者や記者の言説を吸収すると,ほら…。専門誌を読んでたり,テレビを真剣に見てたりする層ほど,騙されることになりかねません。バカが蔓延しかねません。変な自負ですけど,そこそこ真実を書いちゃってるのは,ここくらいなんじゃないでしょうか…。

あ,筆者がこういう境地(?)にたどり着いたのは,中年になって家族に対する「諦め」が生じたことが大きかったと思われます。

心理学用語でいうところの「防衛機制」の一種ですね。「合理化」に近いんでしょう。人はみな,筆者に限らず,何にでも「期待」というか,自分に好都合な予測をします。でも,自分以外の生きものは,平気でそれを裏切るわけです。そんなとき,筆者が抱いた「勝手な期待」が悪かったんだろうな,って,見なすんですね。大ゲサにいうなら,「悟りの境地」かもしれません。

論語風にいうと,「四十にして期待せず」みたいな。特に,自分の子に対しては期待しちゃいがちですけど,自分が自分ですからねぇ…。少なからずこの遺伝子を継いじゃったら,期待するほうが間違いなんでしょう。自分自身を振り返って,親にとって「いい子」だったか,と問うと,自信をもって「yes」と答えられるはずはありませんもん。と,自分にいいきかせるんですね。ほら,ちょっと「悟り」でしょ。

とはいえ,予想した「最低」を超える「最低」が来ると,かなりガッカリするんですけどね。「想定した『最低』を下回って来やがったか」って。ボクシング解説者には,そんな感情があるのかもしれません。統括団体は「想定の範囲内」でも。そんなときは,筆者自身の想像力の欠如,覚悟の欠如を罵るわけです。「下には下がいる,ってことを忘れてやがったな」と。

ボクシングの統括団体にも,評論家連中にも,基本的には何も期待しません。期待しませんから,裏切りもありません。「バカ前提」です。「やっぱりな」的な感想で済みます。

が,ボクシング解説者って,公の電波を使ってるわけですから,筆者だけの正当化で済むわけではないんですね。筆者は「また,バカいってる」で済ませられますが,「他の大勢」に悪影響があるわけで。

「ペンは剣よりも強し」っていう言葉もあります。御存知のように,報道機関とかの言論は強いことを意味しますけど,マスコミ陣もバカですからねぇ。目クソ鼻クソ。あ,目クソと鼻クソにも,どっちが上か,ってのがあるかもしれませんけど,「どっちもどっち」でしょ。

ということで,「あいつら」最悪です。少しは学べよ。「少しは」。そんなヤツらを野放しにしてるテレビマンとか編集者たちも同罪でしょう。ビール瓶対象です。医療用ホチキスを使うことになっていただきたいくらいです。