印象操作

ほら,イヤな予感,的中というべきでしょうか。山中選手,ショート「ゼロ」だったでしょ。打ち返してもヒット「ゼロ」だったでしょ。そもそも,ショート用の打ち方じゃありませんでしたから,もし当たったとしても,思った効果があったかどうか疑問ですけどね。

これが帝拳の「悪しき伝統」です。帝拳に限らないかもしれません。「和式」の悪しき伝統です。

あれだけボロ負けだったにも関わらず,3人の解説者は誰1人として「ショートの体勢づくり」に言及してないんですね。たぶん,気づいてないんです。もしかしたら,あれだけの「明らかな欠陥」があるにも関わらず,「パワー負け」くらいにしか思ってないのかもしれません。違います,って。ショートがヘタすぎたんです,って。2とか1とかじゃなくて,「ゼロ」だったんです,って。あの試合のレビューもので,ショートに言及してないものは,「すべて」クズ扱いでいいんじゃないでしょうか。

だからいったでしょ,「バカ最強」って。気づかなければ,欠陥がわかんないんですから。欠陥がわかんなければ,課題も見つからないんですけどね。あれだけ課題があるのに。ショート「ゼロ」なのに。

そこそこ距離があるところでは,「神の左」っていわれる左クロスが強く打てるのに,ショートでは何もできない,ってのは,問題ありありでしょ。でもたぶん,周囲の人間たち(換言すると「バカども」)は,そこに気づいてないんでしょう。何やってんでしょうかねぇ…。人1人の人生がかかってる,ってのに,「ショート」っていう存在を知らないとは…。

最後の頃に懸命に打ち返してた左って,すべてロング用の左「ばっかり」だったでしょ。打てないんですよ,ショートの左を。知らないんです。世界王者ともあろう者が。

以前,同じ帝拳の三浦隆司選手にも「ショートがゼロ」って書きましたけど,そこから何か学ばなかったんでしょうか? 学ばなかったから,あのザマなんでしょうけどね。やっぱりカネがあるだけで,言葉は悪くなりますけど「ヘタな鉄砲も…」ってヤツになってるように思えます。カネは偉大ですねぇ…。

カネがあると,指名挑戦者を除いて,「ショートの強くない相手」を選び続けることができます。その間にショートを磨くべきだったんでしょうけどねぇ…。気づかなかったんでしょうか。あれだけ大きなジムで,あれだけのスタッフがいるにも関わらず。「3人寄れば文殊の知恵」ってのは,成り立たないようです。何人も集まっても,バカはバカのままのようです。

あれを「まさかの敗戦」っていっちゃってるのが理解できません。だって,ショート「ゼロ」ですもん。ショートになったら,それこそ「負けるべくして負けた」んでしょうに。もしショートができない自覚があったら,もっと徹底してショートを避け続けるべきでしたけど,本人もそこに気づいてなかったんでしょう。とれた防御動作はクリンチ「のみ」でしたから。

3人も元世界王者の解説者がいて,誰からも「ショートの体勢づくり」って言葉は出ませんでした。まぁ,知らないんですから仕方もないんでしょうけど,バカが過ぎますよね。「ショート」ってのを,「なきもの」にしてるんでしょうか? あ,「なきものにする」ってのは,そもそも存在はする,ってのを知ってることですから,ここでは適切ではなさそうです。

Neryも無敵ではないと思いますけど,ちょっとなりとも「ショート」ができましたもんね。その「ちょっと」すらできない「和式」の敗北でしょう。明らかな敗因に気づく人はないんでしょうけどね。

これを,かけ算九九に喩えましょう(なぜ?)

例えば,「6の段」を記憶してなかったとします。ですが,例えば「6 × 4」は記憶してないんで,逆に「4 × 6」で「あ,24」ってわかったとします。

ところが,「『26 × 6』を問う問題」が出ちゃったとしましょう。どうしますか?

当然,「20 × 6」と「6 × 6」の和なわけですから,まずは「2 × 6」で「よし,12」と出ますね。これを10倍して「120」はキープ。

ところが,「6 × 6」を知らない。逆にしても「6 × 6」ですから,どうにもなりません。

でも,原理としては「6を6回,足す」ってことを知ってるんで,「6 + 6 + 6 + 6 + 6 + 6」で,「お,36」と,なります。

答えは出たものの,必要以上に時間がかかって,他の問題に進めずに終わっちゃいました…。あら,どうしましょ…。

たぶん,「『6 × 6』憶えとけよ」,「6の段,ちゃんと憶えとけよ」って思うはずです。簡単でしょうに。

ところが,この人物は,そもそも「6の段」っていう存在を知りませんでした。

これって,どうなんでしょうか? バカ丸出しでしょうに。「そのくらい,当然,知ってろよ」っていわれて然るべきでしょうに。かけ算九九なんて,小学校2年生で憶えることなのにね。

そんな感じで,この国では「6の段」は存在しないことになってます。知らないようです。うまいこと「6の段」を使う問題が出ないことを望むことしかできません。

あ,「6」って,「2 × 3」ですから,素因数分解とかには問題ないんですよ。例えば,「30」を素因数分解するとなると,「2 × 3 × 5」で,どこにも「6」は出てきません。だから,「6」に気づき難いんですが,知らないのは大問題

オーナーが激怒してるそうですけど,もうちょっと,「ほんのちょっと」でいいから,ボクシングを理解しろよ,って感じですね。知らなすぎ。ビジネスマンとしては,あれでいいんでしょうけど。

そういえば,小島よしおさんとかとにかく明るい安村さんが,左利きなんですよね。で,海パンつながりなんですよね。左利きで,やや奇抜な芸風。

あのジムは,小島よしおさん養成所と決めつけちゃっていいでしょう。

余談ですが,トレンディエンジェルのたかしさんやバイきんぐの西村さんも左利きです。「あのジム」は,「そっち路線」っていうことにしましょう。

話は変わりますが,あんなに哀しい熱弁って,あるんですね。ジョー小泉氏ですけど,『WOWOWエキサイトマッチ』で,ウソの熱弁を奮ってました。たぶん,多くのボクシング・ファンも,そのウソに誘導されちゃうんでしょう。

採点で重視されるのは,「相手に与えたダメージ」ですって。曰く,「有効なクリーン・ヒット」っていう表現に問題があるんですって。いや,「有効なクリーン・ヒット」と「相手に与えたダメージ」っていうのは,イコールじゃない,っての。何十年,ボクシング見てても,気づかないものなんでしょうか?

ボクシングのルール・ブックには,明確に「有効なクリーン・ヒット」ってのは,パンチの質と量で測る,って明記されてます。でも,「ダメージ」っていうのは,食った側の頑丈さによって変わってきます。指導者経験もあるクセに,そのくらいのことがわかんないんでしょうかねぇ? 謎すぎます。

以前にも記したことを繰り返しますね。

頑丈で知られる選手に,「ガツン」って音が聞こえるくらいの強打が当たったとしましょう。試合が終わっても当然くらいの強打だったのに,まるでダメージがなかったかのように,その選手は前進しちゃいます。

一方,打たれ強さに疑問がもたれてる選手に,効いた様子こそないものの,「もしかしたら?」っていうパンチが当たったとしましょう。しつこくなりますけど,見た感じには「効いた様子」なしです。

さて,「有効なクリーン・ヒット」は,どちらが評価されるべきでしょうか?

前者です。「ダメージ」としたら,後者のほうが「ありかな?」って思っちゃいがちですけど,「ダメージ」ってのは「忖度」しません。

小泉氏は,「有効なクリーン・ヒット」ってのは「わかりづらい」っていってましたけど,「ダメージで評価」っていうのは,「正誤」の時点で間違ってます。誤りです。もしこれなら,「オレの選手は打たれ強いんだぜ」って信じてれば,ほぼ確実にポイント押さえちゃうでしょうに。あ,あのオヤジ,そんな盲信野郎なんでしょうか?

言葉の問題,表現の問題じゃなくて,「正誤」っていう時点で間違った熱弁を奮っちゃうのは,問題ありすぎ。あの人,これだけ日本語が不自由なんですから,英語やスペイン語が通じてるのか疑問になっちゃいます。出川哲朗さんみたいに,「気持ちでどうにかする派」なんでしょうか?

これ,「偽証罪」に問われないんでしょうか? 宣誓してませんから,ウソありなんでしょうかねぇ…。

しくじり先生』レベルかもしれません。あ,そこまで知名度もありませんけどね。

それとも,「偽証罪」っていうのは,国会に限られるんでしょうかね?

国会っていえば,安倍首相が「印象操作」って言葉を用いましたけど,そんな事態が起こりました。

またも小泉氏のコメントです。

Carlos Monzónのことを「ライフル」って紹介しましたが,Monzónのアダ名は「Escopeta」ですんで,直訳すると「ショットガン」な気がするんですね。

あ,今,Google翻訳したら,やっぱり「ショットガン」,「散弾銃」でした。

「ショットガン」と「ライフル」って,感覚的には「ライフル」のほうが単発の破壊力がありそうな気がしませんかね? 単に筆者だけの語感の問題かもしれませんけど,「ライフル」のほうが豪快度が高い気がします。

でも,「ショットガン」,「散弾銃」っていうと,もうちょっと小ぶりな気がしませんかねぇ? もし同意してくださる方がいたら,これこそ「印象操作」でしょう。

「ショットガン」っていうと,輪島功一さんと闘ったOscar Alvaradoを思い浮かべることと思われます。このAlvaradoも微妙でねぇ,この選手,メキシコ系のアメリカ人なんですよ。生まれはテキサス州なんで「オスカー」って呼ばれがちなんですが,スペイン語読みをすると「オスカル」的になります。

あ,「ショットガン」の話でしたね。

もっと気になるのが,「Matador(マタドール)」っていうアダ名。

これを「闘牛士」って訳しちゃうと,赤い布をもって華麗な動きをするのを思い浮かべがちですけど,闘牛ってのは役割制で,「Matador」ってのは最後に牛にトドメを指す人「しか」指さないそうです。ですんで,もし訳すとすれば「殺し屋」みたいな感じになります。そこには少しの「華麗さ」もありません。

ニカラグアのRicardo Mayorgaのアダ名が「Matador」でしたが,あの選手に「華麗さ」って,ありましたか? 少しも,日本語的な「マタドール」感はなかったでしょ。以前,おそらく日本人が最も「空手」を知らない,ってなことを書きましたけど,闘牛に関しても,無知でしょうね。そもそも闘牛士が役割制だ,ってことすら,知られてない気がします。

「殺し屋」ですから,Mayorgaが「Matador」でも問題ないんですね。これに「華麗さ」を見出してしまうヤツが悪いんです。これまた,たぶん「印象操作」でしょう。マスコミは正しいことを伝える義務がありそうです。「マタドール」って,少しも華麗じゃないんだよ,ってことを,ね。

言葉の問題ついでに,日頃,疑問に感じてる言葉を挙げときましょう。

以前,「スピードスター」を「Speed Star」って書いちゃってんのは間違い,さらには,「Speedster」って書いても,それは「スピードがあることこそ認めるけど,その他はまるでダメ」っていうことなんで,ちっとも誉め言葉にならない,ってことを書きました

同様に,ちょっといい言葉に解釈されてんのが,「若旦那」って言葉。これ,落語がわかる人からすると,「2代目のボンボン」って意味なんですね。つまり,家系はいいかもしれないけど「それだけだろ」って意味になっちゃって,少しも誉めてないんです。

自ら「若旦那」って芸名にしちゃってる人がいますが,たぶん彼は,そんな落語的な意味を知らないんでしょう。だって,「ボンボン」ですもん。「ボンボン」なんて自称しないでしょ。たぶん平尾勇気さんだって,自称しないはずです。恥ずかしすぎますから。

あと,最近多用されてる「こだわり」ってのも,要するに「小っちゃいことに固執する」っていう悪い意味ですから,「この店の『こだわり』は何ですか?」なんて訊こうもんなら,気を悪くされても仕方ありません。だって,「この店は,どんな小っちゃいことを気にしてんだ?」っていう意味ですもんね。バカにしてるでしょ? ゆってぃさんっぽいでしょ。

ところが今では,原義が知られてないせいもあって,わりと「いい言葉」みたいに遣われてます。どうなんでしょうか。もし筆者が「あなたの『こだわり』は?」って問われたとして,いい気分でいられるんでしょうかねぇ…。自信ありません。悪意はなかったとしても,悪意に解釈しちゃう気がします。

いや,言葉の意味は時代とともに変わっていく,っていうのは,わかってるつもりですよ。でも,それが今なのか,微妙です。っていいつつ,筆者も,気づかずに悪いことをいっちゃってるのかもしれません。ね,「無知」って最強でしょ。知らないヤツは,そのデメリットも知らないんです。ですんで筆者は自戒も込めて「バカ最強説」を唱えます。

大昔,「ゼロ」って概念がなかったそうですね。今では当然のように用いられる「ゼロ」が,かつては,なかった,と。そんな感じで,日本には「ショート」っていう概念がありません。目をつぶってるんじゃなくて,存在そのものを知らないんですね。ある意味「無敵」です。知りませんから。

かけ算九九もできてないってことを,怒る前に恥ずかしがるべきでしょう。小2ですから,小2。もしかしたら,指を折って計算してるレベルかもしれません。

「Argüello」を「アルゲリョ」っていっちゃったり,「Pascual Pérez」を「パスカル・ペレス」っていっちゃったり,かけ算九九すらできないヤツが多すぎます

でも,カネさえあればね。「無知」でも,カネがあれば大丈夫。「無知最強」よりも,「カネ最強」かもしれません。