才能

よくないと思いますよ。村田諒太選手ですけどね。確実に,よろしくない方向に向かってると思われます。

非常に悪くいえば,「棒立ち」の「力任せ」。馬力勝ちしたからよかったものの,相手の体にパワーがあったら,何もできずに遊ばれちゃうんじゃないでしょうか…?

もし「あれ」を絶賛しちゃってる記事なんかを見たら,それこそ「和式」と決めつけちゃってください。あんな課題バレバレの選手を絶賛してたら,ボクシングを知らないに違いありませんから。

村田選手は,体,ガッチガチなんですね。あ,柔軟運動はしてるでしょうから,静的(?)には,軟らかいでしょう。もしかしたら股割りなんかも,できちゃうかもしれません。でも,動的には,ガッチガチ

以前にも書いたように,この「動的な柔軟性」っていうのは,大人になってからの柔軟運動では「まったく」向上しません(かといって,何歳までに決まるのか,わかってません)。ですんで,この手の選手が相手のパンチを食うと,「カツーン」って聞こえるくらいに弾かれちゃうことがしばしば。ODLH(Óscar De La Hoya)が,そうでした。ODLHはガッチガチでしたが,たぶん自覚があったんでしょう。ホントに「1発も食わない」くらいに注意して闘ってました。

変な比喩ですけど,鉛筆に強くデコピンするのと,棒状のバネにデコピンするのを思い浮かべてください。後者は「ぼよ~ん」となって,衝撃を吸収しますが,前者は「カツーン」となります。

そのODLHほどではないにしても,村田選手はガッチガチ。が,村田選手は体に力があるんで,押せるんですね。体の硬い選手は,パンチが硬くなる傾向があります。この手のパンチ(まさに「ハード・パンチ」)は,相手を押し飛ばすように効かせることができます。あ,いい方向に転じれば,であって,体が硬いだけでパンチが弱い選手もいますよ。

ただ,村田選手は体が「才能」,「素質」っていう意味ではガッチガチなんですけど,柔らかく使う工夫をしてました。体を振ってみたりしてたんですね。

ところが先日の最新試合では,どうだったでしょうか?

その「柔らかく使う」が,ありませんでした。悪くいえば,「棒立ち」で押すだけ。

体のパワーで相手に大きく上回ってたんで,押し勝ちましたけど,軸を動かす動きは,ほとんどありませんでした。

ですんで,力任せに右を打ち下ろすことはあっても,軸を左に傾けての左の腹打ち,とか,軸を右に傾けての右アッパー,なんてのは,なかったでしょ? 左の腹打ちはありましたけど,軸を左に傾けて,拳を潜らせるような左の腹打ちは,見られませんでした。

勝ったからいいものの,もし,これが村田選手の理想像に近いとしたら,進化ではなく,退化でしょう。悪い方向に向かってるとしか思えません。

対戦を希望してるらしいGennady GolovkinとかSaúl Álvarezなんかは,Hassan N'Dam N'Jikamと違って,体にそこそこの馬力があります。かつGolovkinとかÁlvarezは,ちゃんと軸を動かして闘うことができます。

ってことで,そんな選手たちと対した場合,村田選手は「止まった標的」になっちゃうんじゃないかと思うんですね。いやいや,馬力がありますから,ぶつかって押すことは可能かもしれませんけど,体を柔らかく使うGolovkinとかÁlvarezとかだったら,第2,第3ラウンドくらいで,正面衝突を避けると想像します。「コイツと押し合うと,押されちゃうな」って,わりと早い段階で把握するはずです。

となったら,村田選手は「単なる止まった標的」。自在に,容易に,打ちまくられちゃうんじゃないでしょうか。馬力があるんでダウンは拒むかもしれませんけど,今どきのボクシングですから,レフェリーが止めるんじゃないかと想像します。悪くいうと,「コイツ,気の毒…」みたいなストップがあるかもしれません。

てなわけで,軸を動かすことを復活させるのが急務。でないと,体の馬力がない選手を選び続けないとダメでしょう。気の毒な展開で弾き負けるシーンしか,浮かんできません。「体の硬さ」っていう点では,おそらく「才能ゼロ」ですからね。

ただ,帝拳の技術部門のトップである浜田剛史氏が,この「柔軟性」ってものを完全に誤解してますからねぇ…。あのアニキは,後天的な柔軟性も「柔軟性」に考えちゃう悪癖があります。ボクシングを「まったく」理解してないとしか,思えません。将棋でいえば「『歩』,最強!」みたいな。「成れば『金』と同等だぜ」と。「成れば」っていう大きすぎる前提があるのに,「『金』と同等」しか,目に入ってない感じ。

あの人物の場合,長年に渡ってボクシングを見てるわりには,「ほぼすべて」身になってません。誤解と都市伝説に満ち満ちてます。思い込みばっかりです。しかも,自分に都合のいい思い込みばっかり。拳を壊すのも「強打の代償」って勘違いしてますしねぇ…。

そんな「柔軟性」は,「才能」っていう意味で,かなり大きいと思ってます。ですんで,ODLHがデビューした頃に,「この程度の才能じゃ,大成しないだろうな」って思ってました。結果的には大間違いでしたんで,村田選手が大化けする確率もゼロじゃありません。まぁ,期待しませんけどね。オリンピック優勝者,そして,プロでも世界王者になったことで,体のパワーが減ってきたら,倒れっぷりのいい,若手の「いい踏み台」になっちゃいそうな気がします。

あ,そうそう。

「Hassan N'Dam N'Jikam」ってのは,リング・アナも日本のプロモーターにいわれたと思われる「エンダム」っていってましたけど,通常,「ンダム」みたいに読むはず。フランス語はわかりませんから確証もないんですけど,日本的「のみ」,「エンダム」です。

どうやら村田選手は研究熱心なんだそうですけど,指導者が「あれ」ですし,日本に生まれ育って日本の解説者が喋ってる番組を見てきたわけですから,「ショート」っていうものの存在すら知らないようです。以前にも書きましたが,かけ算九九でいうと,「6の段」っていうものの存在を知らない感じです。力技で「6」を何度も足すか,あるいは,「6」の約数である「2」とか「3」の倍数で,「結果的に」何とかなってるだけに感じます。

そういえば,ジョー小泉氏が番組中でちょいちょい「才能」っていう言葉を遣いますけど,あそこまでボクシングを知らない人間が,何をもって「才能」っていってるのか謎。たぶん,自身の好みを「才能」って言葉にしてるんでしょう。偏ってるんですけど,「好み」ですからね。CMとかなら「個人の感想です」って出るくらいのことです。

喩えていうなら,楽器経験が皆無で(あ,音楽の授業レベルはあり),譜面も読めないヤツが,でも,とりあえずいくつもCD聽いてるヤツがいたとして,その人物が「この曲は…」って語る感じでしょうか。みやぞんさんみたいに譜面が読めないクセにいろいろと演奏できちゃう人もいますけど,それは非常に稀なケースでしょう。みやぞんさんみたいなケースでもない人物が偉そうに曲を語って,説得力,あるんでしょうか?

日本には「ショート」っていう概念が,「まったく」ありません。その証拠に,村田選手の試合,解説者,ゲスト解説者ともに,「ショート」に言及してませんでした。まぁ,存在しない設定なんですから,触れられるわけもないんですけど,あまりにも知らなすぎますよ。

今どき,鎌倉幕府を「いい国」って語呂合わせしちゃってる感じ(最近は「1185年」だそうで)。肉食恐竜が尻尾を引きずって歩いてた,ってことを,今なお信じちゃってる感じ。いずれも,今となっては違ってるのに,頑なに,そう信じてる,信じてるっていうか,「それしか知らない」んで,疑問を感じることすらない感じ。

近間の妙を見る場合には,上から見て頭でアルファベットの「U」を描けてるか否か,っていうところをチェックしてください。この反対が,両腕でしっかりと頭部を覆って「とにかく耐える,とにかく押す」っていうパターン。ほら,「和式」は確実に後者でしょ。日本に生まれ育ったら,後者は見馴れてるでしょ。これが「和式」。

ところが『WOWOWエキサイトマッチ』とかで海外の選手を見ると,ちゃーんと頭で「U」を描いて,相手との単純な押し合いになることを避けてることが,おわかりかと思います。これが最低限のショートの対処なんですね。つまりは「和式」って,その「最低限」も,できてない,ってことです。

こういうのは,解説者が指摘すべきなんですけど,その解説者どもも「コッテコテの和式の日本人」ですから,指摘する能力はありません。解説者に,触れる能力がないから,視聴者もそこに気づきません。「バカの拡大再生産」っていうのは,こういうことです。

ですんで,「和式」は,バッグ打ちでちょっとバテて来ると,しばしば頭をバッグに押しつけて左右をボコボコしたりするんですね。でも,「和式」でない選手は,頭で「U」を描くようにしてバッグに頭が直撃することを避けて,つまりは軸を左右にズラして打っちゃったりします。

後者は,ちょいちょい日本では「根性なし」呼ばわりされることがあるんですけど,そいつこそ,「知識なし」に他なりません。友近さんなら「バカやってる」っていうところでしょう。

こういうことができずに両腕とか頭とかで押すだけの選手は,非常によくいえば「バカ正直」。普通にいうと,そこから「正直」を除去した感じです。でも,そんなのを日本のジムでは強要されます。「バカ」が推奨されるんですね。懸命に「バカ」を育ててるのみ

う~ん,ちょっとまだ若干,時期尚早かもしれませんが,村田選手も井上尚弥選手も,この「ショートの最低限の対処」ができてないんで,勢いとか体の馬力とかで打ち勝ってるだけに思います。頑丈で,ちょっとショートの巧い選手とやったら,遊ばれるんじゃないでしょうか?

「才能」っていう言葉を遣う以前に,「最低限」の知識を身につけろや,と。あ,あのオヤジにその「才能」が「ゼロ」ってことか…。つまり,期待も「ゼロ」阿佐ヶ谷姉妹さんのネタみたい)

というように,「柔軟性」なんてのも,いわば「才能」だと思ってるんですけど,筆者が「あ,コイツ,天才!」って思っちゃった選手がいます。それがRoy Jones, Jr.です。あれは「天才」って思いました。

もちろん,Ricardo LópezとかAlexis Argüelloなんかにも甚く感心はしましたよ。でも,LópezとかArgüelloのボクシングは,「想像できる範囲」なんですね。

いやいや,とはいっても,筆者に同じことは不可能ですよ。でも,LópezとかArgüelloに関しては,「そこそこのマネ」ができるんですね。「こういうときは,こうだろう」っていうのが想像できるんです。

異常なほど高度な教科書を読んでる,とは感じますが,それでも「教科書」っていうレベルな気がするんです。繰り返しますけど,同じようなことをするのは不可能です。相手がいないところで「それらしいマネ」をするのが精一杯。あるいは,映像で見て「あ,そういう狙いよね」って納得するところまでが,やっとです。

ところが,Roy Jonesのボクシングは,筆者の貧弱な想像を超えちゃってます。あ,過去形にすべきでしょうか?

例えば,1994年にJames Toneyとやったときのこと。

第3ラウンドでしたか,Jonesがガードを下げてみせたら,Toneyがこれに応じてガードを下げて見せ返したところに,Jonesが飛び込んでの左フックを当ててダウンさせましたね。

あれだけ距離があったら,筆者の想像ではジャブで飛び込むことまでしか理解できませんでした。実際,防御勘のいいToneyは,その「ここはジャブが来るかも」まで読んでたようで,Jonesの飛び込みに対して,小さめながらスウェイしてるんですね。

通常の感覚でいえば,この対処で外せるはずなんです。貧相な筆者の想像でも,そこまででした。ところがJonesが実際にやらかしたのは,異常に長い左フック。これはToneyも,もちろん筆者も想像してませんでしたから,スウェイして致命的なヒットこそなかったものの,Toneyは押し飛ばされるように後ろに転びました。

というように,Jonesは筆者の想像を,容易に超えてたんですね。彼には彼なりの教科書があるのかもしれませんが,筆者の知る範囲の教科書ではないんです。

Miyaviさんが,ギターをまるでベースのようにスラッピングしちゃってるでしょ。弦を叩くように演奏しちゃいます。あれ,ベースであれば,わりとメジャーな演奏法ですけど,ギターをスラップしちゃったの,って,Miyaviさんがたぶん先駆者でしょ?

いや,単に筆者がギターの演奏法に無知なだけかもしれませんけど,あれにはド肝を抜かれました。「こんなん,あり?」って思いましたもん。Roy Jonesのボクシングには,そんな強烈な印象を受けたんです。貧相な筆者の想像を,超えちゃってましたから。

ですんで,Jonesを「天才」って思うんです。一方,LópezとかArgüelloとかは,「天才」とまでは思わないんです。ただし,繰り返しになりますが,以上に高度なレベルの教科書を読んでて,かつ,その教科書の知識の実践も早くて正確だと感じますよ。

さらにいうと,「和式」の教科書は,異常なほど古くて,かつ,間違ってるようにしか思えません。そんな教科書を読まされるんですから,選手が気の毒ですよ。選手だけじゃなく,ファンもね。いつになったら正しい教科書が現れるんだか…。